一 週 間 前 の 、 そ の 日 。

 雨の日が好きだなんて言う奴の気が知れねえ。

 

 いいことなんかひとつもない。テニスはできない(まあもう引退してるんだけど)、昼休みに外でサッカーもできない、帰るのが面倒くさい、しかもほら、廊下とか、今降りてる階段とかも濡れてなんか黒くなってて汚ねえし。大体今日は雨なんか降らねえって天気予報で言ってたから、俺はそれを全面的に信頼して傘も持たずに学校に来たんだっての。
 そんな感じで、ただでさえ嫌な気分だっていうのに。
(あーあ……)
 目の前を無言で降りていく後ろ姿を、嫌々ながらも追いかける。真っ直ぐに伸びた背中。俺は両手をポケットに突っ込んで、立ち止まった。

 ケンカをする理由はいろいろだ。よく思い出すこともできないような些細なことから、テニスみたいに俺にとってはすごく大事なことに関するものまで。どっちが悪いなんて考え方をしたくはないけど、まあ、火種みたいなのがあるというならその大半は、俺が蒔いてるようなものらしい。
 今回の理由は至って単純なものだった。こいつ―跡部に借りた本に、俺がうっかりジュースをこぼした。もちろん悪気があったわけじゃない。ちゃんと謝ろうと思ってたのに、すっかり忘れたまま返してしまって、なんだよこれは、ってことになったわけ。そんな理由で、俺が覚えている限り一週間は口をきいてない。まあ、部活を引退したからそう頻繁に会うってわけでもないから、それが長いのか短いのかは、俺には判断がつきかねるとこだけど。
 そして俺は今、偶然を呪いつつ無言で跡部の後ろをついていく形になってしまっているのだった。いくつかの偶然が重なってしまった不幸な結果だ。雨が止まないかといつまでも誰もいない教室でだらだら過ごしていて、諦めて帰ろうとした時に委員会帰りの跡部に会ってしまった偶然。跡部も丁度下駄箱に向かおうとしていた所だったという偶然。俺と跡部の下駄箱は同じ場所にあるという偶然。それから…俺も跡部も、会いたくない人間に会ったからといって自分から逃げ出すなんてことを潔しとしないという厄介な性格を、同じように持ち合わせていたという偶然。
 俺は踊り場で足を止めたまま、スタスタと降りていく背中をじっと見ていた。
 何事もなかったように遠ざかっていく背中。

「……宍戸」

 一番下まで降りたとき、ふいに跡部が俺を呼んだ。
「……何だよ」
「お前、傘もってねえんだろ」
 見りゃわかんだろ、と小さく呟くと、跡部はようやく振り返って、踊り場に立ったままの俺を見上げた。
「車呼んでる。乗って行くならさっさと来い」
 不機嫌そうな顔だった。
「……マジで?」
「二度言わせるな」
 ふいと顔を背ける。俺は何だか可笑しくなった。
「へーい」
 怒った顔をしていたいのに、顔が勝手に笑ってしまう。俺はにやつく口元を手で覆って、階段へと足を踏み出した。

「おわ!」
「バカ!」

 雨のせいで濡れていた階段に足を取られて、俺は一番下まで滑り落ちてしまったのだった。
「……ってえ……」
 ブザマに床に転がったまま、俺は顔を顰めて、ケツと脛を押さえた。あれだよな、止まらなきゃってわかってんのに、滑っていく最中はもうどうしようもないもんなんだよな。痛みから気を逸らそうとそんなことをぼんやり考えながら涙目になっていると、すぐ傍に立っていた跡部が大きくため息をついた。
「子供かてめえは」
「子供だよ。まだ15だしな!」
 それでも今はてめえより年上なんだよ、と言いかけたところに、すっと跡部の手が伸ばされた。
「……」
「早く立て。もう迎えは来てんだからな」

 俺は呆然と、差し伸べられた手と跡部の顔とを見比べた。
「……?何だよ」
 跡部は怪訝そうな顔をする。
「……、いや、」
 何でもない。そう言って、差し出された手を掴もうとして、一瞬迷ったその時、廊下の向こうから声がした。

「あーやっぱり跡部だ!言ったろ侑士、校門の前に止まってたベンツ、絶対跡部んとこのだって!」
「さすがやわーがっくん!跡部今から帰るんやろ?俺らも乗せてったってー!」
 おそらく俺と同じように傘を忘れたのだろう、漫才ダブルスコンビだった。
「…ったく、しょうがねえな」
 跡部はすっと手を引いて、乗るんだったらさっさと荷物を持ってこい、などと言いながら彼らのほうに歩いて行ってしまった。

 何となく、自分の手を見つめる。
(……)
 アホらしい。俺は軽く頭を振って立ち上がると、痛む足を引きずりながら跡部の後を追った。

 

 

 彼の手を取るのを一瞬躊躇ってしまったこと。
 そのことに対して後で俺がどんな気持ちを抱くことになるのかなんて、そのときの俺は、全く気づいていなかったのだった。

 

 

 

****

 

 

 

「……何だよ岳人、こんな時間に……」
『宍戸、……落ち着いて聞けよ』
「だから何だよ」
『……、…』
「岳人?」
『――跡部が……』






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【ぜ ん ぶ 、 き み だ っ た】
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E N T E R

Art works were gifted by Shoko Kugami from "Hacca Cheese".
Thank you so much!!

 


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