精一杯の、告白だった。
「――それは、嫌だ」
伝えたいことはたくさんあったのだけど、言葉にするとどれも違うような感じがした。それでも、彼が行くということがどういうことなのか、そして俺が送るということがどういうことなのか。それを自分が取り違えていないことを確かめたかった。
きっと俺を放っておいたら、ここにいてほしいのだと言ってしまうだろう。けれど、自覚した途端に今まで何ともなかったのが不思議なくらい後から後からあふれてくる気持ちが止まらなくなってしまう前に。ずっとここにいろと言わずにいられなくなってしまうその前に、彼を送り出す言葉を言わなければいけないと思った。彼がそれを望んでいるのかどうかなんてわからないけど、ここにこのままいても彼は幸せにはなれない、それだけはわかった。
隣に座る跡部に視線を向ける。跡部は、笑ったようだった。
何か俺は、最近彼のこういう顔をよく見る気がする。彼が生きていたときには想像がつかなかったような穏やかな微笑みに、俺は自分が間違っていないことを確信する。
胸が、苦しい。
――会いたい。会いたくて、苦しい。
ジローの言葉を思い出す。それはきっと、俺がこの先感じることになるだろう思いそのままだ。
「……そういえば」
ふと思い出して、跡部の目を見たまま少し笑って言った。
「お前、ジローとキスしたって?」
跡部は一瞬言葉に詰まって、ため息をついた。
「……されたんだよ、いきなり」
「ふーん……」
――俺ね、ファーストキスって跡部なんだ。
俺は俯いた。
俺が知ることのなかった、その感触。
「……宍戸?」
何でもよかった。ただ、触れたいと思った。怪訝そうな顔をする跡部に、俺は手を伸ばした。けれどその手は、跡部の顔をかすりもせずにすり抜ける。
「……」
そうだ。
「……あのさ、もう一回、俺ん中入ってみねえ?」
触れることができなくても、あのあたたかさをもう一度だけ、感じたい。
跡部は驚いたように俺を見て、それからああ、と頷いた。
目を閉じる。身体の力を抜いて、彼のすべてを受け入れる。痛みはもちろん感じなかった、だって今この瞬間、彼は俺の一部なのだから。いや、一部なんかじゃない。意識の境界線がなくなって溶け合っていくような感じ。きっと俺の全部が彼で、彼の全部が俺なのだ。
それは、触れるよりももっと近くにいるような。
ひとつになるよりもっと、ひとつになったような。
ソファに座ったまま、跡部は右手を自分の左肩に、左手を右の腰のあたりに置いた。ああ、こうやって自分を抱きしめるみたいにするの、コイツのクセだったっけ。そんなことを思っていると、その両手にぐっと力が込められたのがわかった。なんだか自分が跡部に抱きしめられているような感じがして、俺はその暖かな感覚に身を委ねた。
やがて跡部はゆっくりと手を上げて、くちびるのあたりに触れた。指で優しく撫でるようにして、それから目を閉じると、その指先にキスをした。
また、泣きたくなった。
跡部の感情が流れ込んでくる。全身で感じる、痛いくらいの想い。
あふれてくる俺の気持ちも、残らず彼に伝わればいいと思った。
そして、この時間が終わらなければいいのにと。
「……もう、出るからな」
跡部は目を閉じたまま俺の声でそう言って、ゆっくりとその半透明な姿を現した。ソファに座ったままの俺の正面に立つ。
「あのさ」
「何だ」
俺は跡部を見上げた。思わず言ってしまいそうになった言葉を必死で飲み込む。
「いいや、何でもない」
「ああ?」
「言いたいことがあったけど、やっぱやめとく」
「……何だそれは」
「あと、聞きたいこともあったけど」
「……?」
「そっちは……わかったからいいや」
「じゃあ聞くな」
「ああ、聞かねえよ」
本当は、彼の声で、彼の言葉で彼の気持ちを聞きたかったけれど、それを聞いてしまったら、絶対に言わなければと決めた言葉を言える自信がなかった。情けねえな、俺。しっかりしろよ。
「……あ、とべ」
呼んだ声が微かに震えていて、俺は弱くなりそうな自分を必死で叱咤する。じっと見上げたままでいると、彼はまた、笑った。
「何怖がってんだよ」
「怖がってねえよ!」
「じゃあ、――言ってくれないか」
深い青色の瞳が、真っ直ぐに俺を捉える。綺麗だった。やっぱり、綺麗だ。
「……わかったよ」
俺がきっとこれから一生忘れることがないだろう、その青い瞳を瞼の奥に閉じこめて目を閉じ、大きく息を吸い込んだ。
「……お前が好きだ」
温い風が吹いて、俺の全身を包んで消えていった。
目を開けたそこにはもう誰もいなくて、代わりに俺が彼にあげたはずの黄色いテニスボールが転がっているだけだった。
ぜ ん ぶ 、 き み だ っ た / E N D