「毎日毎日、そんなに疲れるまで何やってるんだ?」
黒いマントを翻し、外の空気を吸いにいくと告げた跡部がドアの向こうに消えたのを確認して、店の主人はカウンターに顔を伏せたままの宍戸に声をかけた。
「……ちょっとな」
3ヶ月が過ぎていた。
跡部の指導のもと、宍戸は様々な騎士の剣技を修得しつつ、時折路上で行われている野試合にエントリーしてはファイトマネーを稼ぐ日々を送っていた。もっとも稼いだ金のほとんどは、「コーチ代」の名のもとに跡部の食費や生活費に消えていたのだが。
(あいつ、ヒモかよ)
宍戸はため息をつく。
跡部に出会ってから、他の騎士やファティマを見る機会も何度かあったが、少なくとも今までのところ、跡部よりも「美しい」と思えるファティマを宍戸は見ていない。――まあ自分はそもそもそういう感覚には疎いほうなのだけれども、とにかく、あのファティマらしからぬふてぶてしい態度を差し引いても、彼には何か、普通のファティマとは違う雰囲気があるような気がしていた。
しかし、あの傲岸不遜な性格からどんな王族の元で甘やかされたファティマなのかと思っていたら、普通の工場で戦時中に作られた大量生産品なのだという。工場は戦争で破壊され、頼るべき「マイト」と呼ばれるファティマ制作者も、「マイスター」と呼ばれるメンテナンス担当の科学者も行方が知れない。そのため、壊れたままこの街のあたりをずっと彷徨っていたのだと言うのだ。
(あいつは――これからどうしてくつもりなんだろう)
こちらとしては、実戦で培われた自分の知らない様々な技を教えてもらるのは有難い。しかし、「マスター」という言葉が出ない以上、主となる騎士を得ることはできない。ならば、騎士になろうとしている自分といる意味はないだろうに。
(……)
「まあ、飲めよ」
「ああ、サンキュ、南」
差し出されたグラスを受け取ると、店の主人は人のよさそうな笑顔を返した。
「ねえねえ、お兄さん!」
グラスに口を付けようとしたとき、すぐ後ろで宍戸の腕を引く者があった。
「お兄さんは、騎士ですか?」
「んー、まあな」
腕を引いていたのは、どう見てもサイズが合っていなさそうなヘアバンドをした、小さな少年だった。登録を受けていない見習い騎士だと説明するのも面倒なので曖昧に答えると、少年は目を輝かせた。
「もしかして、”黒騎士”ですか?」
「”黒騎士”?」
「太一、そのへんでやめとけ。こいつは違うよ」
店の主人の言葉に、太一と呼ばれた少年は顔を曇らせる。
「だって……黒い髪と黒い目だから、もしかしてって思ったです……」
「そんなヤツがこんなとこにいるわけないだろ。さ、もう行け。子供は寝る時間だ」
「……はいです」
肩を落として店を出て行く少年を見送って、宍戸は片手でグラスを揺らしながら尋ねた。
「南、”黒騎士”って何だ?」
「え、お前マジで知らないのか?」
騎士になろうとしてるのにそんなんでいいのか、と言う南に、宍戸は頬を膨らませる。
一般の人間を遥かに越えた身体能力を持つ”騎士”は、誰でもなることができる「職業」のようなものではない。その能力が発現した者にだけ与えられる身分であり、地位であり、名誉であった。この星団に住む全ての人間に能力発現の可能性があるとはいっても、遺伝的な理由から血統がしっかりしている貴族や王族に騎士の力を持つ者が誕生することの方が多く、一般家庭に突然宍戸のような騎士能力保有者が生まれるのは、極めて珍しいことなのだった。
「……しょうがねーじゃん。田舎から出てきたばっかりだし」
「田舎がどうって問題じゃないだろ?」
クスクスと笑う南に、宍戸はますますふて腐れる。しょうがないな、と南はカウンターの向こうから身を乗り出した。
「黒騎士ってのは、星団中の子供たちが一度は憧れる、最強のMHのひとつだよ」
「MHなんだ」
「正確にはな。でも、そのMHを所有する騎士も黒騎士と呼ばれる」
「……?」
「普通、騎士がいて、ファティマが騎士を選んでパートナーになって、それから騎士団とか国とかから支給されたMHに乗るだろ?だけど、その黒騎士は違うんだ」
「違う?」
「ああ。黒騎士というMHには最初から専属のファティマがいて、そのファティマに選ばれた騎士だけが、そのMHに乗ることができる。ファティマがMHに最も相応しいと思う騎士を選ぶわけだ。で、その騎士も”黒騎士”と呼ばれることになる。すごく特殊なシステムらしいぞ」
「ふーん……」
宍戸は本物のMHを見たことがなかった。「最強のMHのひとつ」という言葉には確かに惹かれるが、正直に言って今はそんなことよりも、自分の技を磨くことに精一杯だった。――強くなるために。
「あんまり興味なさそうだな」
苦笑する南にそうかもなと返して、宍戸は両腕を上げ伸びをした。
「そういえば、さっきの。黒づくめの綺麗な彼、……ファティマだよな?」
「そうだけど」
宍戸がこの店に跡部を連れてきたのは、今日が初めてだった。彼はあまり人が多い所には行きたがらない。
「お前のファティマなのか?」
「違げーよ!誰があんな、態度ばっかりデカいヤツ!」
その剣幕に、南はあわててまあまあ、と宍戸の肩を押さえた。
「……俺のもんでもないし、今は誰のもんでもない。ちょっと壊れかけてるらしくて、それで何故か一緒にいるだけ!」
「ふうん」
宍戸の前につまみを並べながら南は苦笑する。
いかに跡部がわがままなのかを愚痴り始める宍戸と、それに相槌を打つ南の視界に、タイミングを計ったように店を出て行く数人の男たちの姿が映ることはなかった。