暗闇に背を向けるようにして立ちすくむ。ざわざわとその身体を覆うのが、怒りなのか寒さなのか、悔しさなのか無力感なのか、宍戸にはわからなかった。
――あんたは人形じゃねえ。ちゃんとした人間だろ。
(何が……違うんだよ)
拳を強く握りしめる。
「宍戸」
聞き慣れた声に、宍戸は顔を上げた。あの真田という騎士に殴られた頬が、ずきりと痛んだ。
「……跡部」
振り返ると、その身に黒いマントを纏った跡部が立っていた。ファティマが肌を必要以上に露出することは星団法によって禁じられていて、だから彼らはどんなに暑くても、身体を全て包み込むようなマントを身に付けている。
「待たせたな」
「……」
「何て顔してんだよ」
からかうように跡部は笑った。まるで何事もなかったかのように。
「……。お前、」
「気にするな」
宍戸の言葉を遮るようにして、跡部は言った。
「大丈夫だ、俺は慣れてる」
「慣れるわけねーだろそんなこと!」
ほとんど叫ぶようにそう言って、宍戸は唇を噛みしめた。その勢いに驚いたように跡部はしばらく口を閉ざし、それから宍戸の表情に気づいて苦笑する。
「だから、なんでお前のほうが泣きそうな顔してんだ」
「知らねえよ!」
宍戸はゆっくりと、目の前に立つ跡部の全身に視線を向けた。唇の端の裂傷や痣。マントの下のその身体には、想像もしたくないような傷が隠されているのだろう。いや、きっと身体だけではない。
恐る恐る、手を上げる。伸ばした指先で跡部の頬に触れると、はっきりとその身体が震えた。けれどその手を払うことはせず、跡部はじっと宍戸を見つめる。
「……ごめん」
「泣くな」
「ごめん」
「謝るな」
「……」
跡部は手を伸ばして、宍戸の頬に一筋だけ伝った涙を拭った。そのままその手を、自分の頬に触れていた宍戸の手に重ねる。動かない宍戸の身体に左腕を伸ばし、そっと引き寄せた。
「……跡部」
「お前が泣いてどうすんだよ」
「お前が泣かないからだろ……」
宍戸も力を込めて、跡部の背に左腕を回す。マント越しに伝わる微かな体温に、また涙が出そうになった。自分たちと変わらないぬくもりを持っているというのに、彼らに与えられた運命はどうしてこんなにも過酷なのだろう。
「何が騎士だよ。…何がファティマだよ、何が人形なんだよ…」
同じじゃねえか、俺もお前も。宍戸の呟きに、跡部は驚いたように微かに目を見開いた。
「法律が何だってんだよ。……大事なヤツの誇りが踏みにじられようとしてるのを黙って見てるのが騎士だって言うんなら、俺はそんなものにはなりたくない」
「……」
跡部は宍戸の手に重ねていた手を下ろすと、俯いたままの宍戸を両腕で抱きしめた。
「俺のプライドは、そんなとこにはねえんだよ」
顔を上げた宍戸ににやりと笑ってみせてから、その肩に額を押し付ける。
「お前の力を、あんな薄汚ねえ奴らに使ってやることはない」
「跡部……」
「こんなことで泣いてる暇があれば、もっと強くなってみせろ。…誰よりも、強く」
「……」
跡部の肩に顔を埋めたまま、宍戸はまた、跡部を抱く手に力を込めた。
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「あの男……俺の掌底をくらって立ったな」
薄暗い宿の部屋の中、赤也の差し出すコーヒーのカップを受け取りながら、真田は自分の右手を眺めた。星団内に数人しかいない『天位』の位を持つ騎士である真田の、その渾身の平手を受けて、あの見習い騎士だという男はすぐに立ち上がったのだ。
「噂になってるみたいッスよ。やたら強い少年と壊れたファティマのコンビ、って」
「噂?」
「このあたりでファイトマネーを荒稼ぎしてるらしいッス」
赤也は自分もカップを取りながら、ぽつりと言った。
「……『黒き死の天使』、かあ」
「何だ。何か知ってるのか?」
「気になって調べてみたんですけど、ここらでは有名な話らしいですよ。何十年かごとにこの街に現れる、黒尽くめの壊れたファティマって。見込みのある若い騎士と行動を共にし、技を教えて鍛える。で、関わった騎士がもう何人も死んでるらしいっス」
「ほう。……ではあれが?」
「多分」
赤也は頷いた。
「ブラック・ファッティース、って呼ばれて恐れられてるんだそうです」
「……何の目的でそんなことを?」
「――さあ。俺にはわかりませんけど……」
少し考え込むようにそう言って口を閉ざした赤也にそれ以上尋ねることはせず、真田は黙ってコーヒーを一口飲むと、ソファに深く身を沈めた。
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