どくん、どくん。
 脈打つ鼓動が聞こえてくるようだ。それは、作り物の自分にも確かにある心臓から聞こえるものではない。意識の奥底で、小さく、しかし確実に息づくものの証。
 もうひとりの。
(……)
 跡部は黙って、目の前の朽ちかけた巨大な兵器――MHに手を伸ばした。

 振り返ると、少し離れた場所から砂埃が立ち上るのが見えた。その向こうに見えるのは宍戸の長い黒髪。先ほど教えた技を、ひとりで練習しているのだろう。
 実際、宍戸はよい生徒だった。このままいけば、どこかの有力な騎士団に入団できるほどには強くなるだろう、と跡部は思う。飲み込みも早いし、素質もある。そしてそれに奢ることなく努力を続ける姿勢は、出会った当初から少しも変わることはなかった。…それでもあの出来事以来、宍戸が跡部の傍を離れてひとりで練習をすることはなくなったのだが。

――何が人形なんだよ。
 あの日、宍戸が呟いた言葉を思い出す。
――同じじゃねえか、俺もお前も。
(でも、俺はつくりものだ)
 今でもそう思う。その証拠に、人間たちと触れ合うよりも、こうやってMHに触れているほうが落ち着く。
 巨大な兵器であるMHと、それを駆って戦う騎士とを繋ぐ役割を持つファティマ。その身体自体は人間と同じもので作られているとはいえ、心―もしそんなものが本当に、作り物の自分の中にもあるというのなら、だが―はMHにより近いように思う。
「お前も、辛いだろ」
 もう動くことのない、錆びた装甲を撫でながら跡部は呟いた。
「騎士の力を受けて、俺たちでそれをサポートして戦う、それが俺らの生きてる意味なのにな」
 拳を握りしめ、装甲を軽く叩く。コン、と硬質な音が響いた。

 

「何やってんだ?」
 いつの間にか練習を切り上げていたらしい。額の汗を拭いながら近づいてくる宍戸に、跡部は無言で視線を向けた。
「宍戸」
「あ?」
 跡部はゆっくりと、MHに背を向けて座り込んだ。
「騎士とファティマの間で最も大切なことは何だ?」
「……。信頼、とか?」
 その隣に腰を下ろし少し考えてから言った宍戸を、跡部は鼻で笑った。
「バーカ。違う」
「じゃあ何だよ」
「MHに乗って戦うこと、だ」
「……」
「でなければ、俺たちは存在意義を失う」
 でもそれは、と言いかけた宍戸を制し、跡部は不満気に自分を見つめる宍戸を正面から見返した。
「前から聞こうと思ってたんだが」
「?」
「お前は……何故強くなりたいんだ?」
 少し驚いたように黙って、それから宍戸はにやりと笑った。
「金が稼げるから」
「……なるほどな」
「ま、それが大きいっていえば大きいんだけどよ、よくわかんねえな」
「?」
 宍戸は跡部から目を逸らすと、ふう、と息をついた。
「俺が生まれたとこってさ、まあいわゆる、あんまり裕福でない人がたくさん住んでるような地域でさ。治安とかも悪くて、あー割とここと似たとこあるかもな。んで、いろいろ理不尽な目にあったりとかすんだけど、結構みんな諦めてて。ここに生まれたからには、そうやって社会の底辺這いずり回るみたいに生きて、死んでくのが普通みてーな」
「……」
「それがいきなり俺みたいなのが生まれちゃって。騎士なんて行くとこいけばめちゃくちゃ金稼げるじゃん。騎士能力者が生まれるのって、運っつーか偶然みたいなもんだろ?そんなの父さん母さんのせいのわけねえのに、父さんはねたまれて仕事なくして、母さんは精神病んじゃって」
「それで、ちゃんと騎士になって周りの奴らを見返してやりたいってわけか?」
 跡部の言葉に、宍戸は首を振った。
「多分、違う」
「じゃあ何なんだよ」
「気づいたんだ」
「何に」
 宍戸はどこか遠くを見つめていた。その真っ直ぐな眼差しにいつの間にか見入っていた自分に気づき、跡部は視線を逸らした。
「弱いままじゃいけないんだってことに」
「……」
「父さんと母さんは、弱かった。別にそれを責めてるんじゃない。だけど、……言い方悪いけどさ、弱いってのはそれだけで罪なんだよ、生きていくためには。強くなければ何もできねえ。守りたいものも守れねえ。例え弱くても、強くなろうと思いつづけてないとダメなんだ」
「……宍戸」
「俺は、上を向いて生きていきたい」
 目指してる強さってのがどんなもんかなんてわかんねえけど、と言って、宍戸は隣の跡部を見上げ、少しだけ笑った。
「でも俺は強くなりたい。もっともっと強く。それが、俺のすべて。多分……生きてる、理由」

 言葉を返すことができずに、跡部はただ黙った。宍戸のほうも、それに対して何か意見が欲しかったわけではないのだろう。そんなものはきっと、彼にはどうでもいいのだ。
 乾いた風が、砂埃を巻き上げる。小石がMHの装甲に当たって、小さな音を立てた。
「じゃあお前は、何のために生きてるんだ?どういうふうに生きたいんだ?」
 跡部を真っ直ぐに見つめたまま、宍戸は言った。
「……そんなこと、考えたこともねえ」
 痛いほどの視線を受け止めて、跡部は言葉を選んだ。つくりものの心でもいい、できるだけありのままの自分を、彼に伝えられたらと願いながら。
「何のために生きるのかってのは……戦うため、なんだろう。それが俺の意思といえるのかどうかはわからねえけどな」
「……」
「そのために作られて、そのために生きる。俺たちには俺たちの理論や理由があって、それを否定する気も反発する気もない。だけど」
「だけど?」
「少し、羨ましく思うことは、ある」
 お前を。
「跡部……」
 跡部はそっと、宍戸の頬に手を伸ばした。長い黒髪を一筋掬う。
「綺麗だな、お前は」
「……」
 艶やかな髪を掌から逃し、もう一度その頬に指先で触れた。自分のものとは全く違う漆黒の瞳に吸い込まれそうな感覚に陥って、跡部はよくわからない衝動のまま、その顔に自分の顔を近づけた。
「もし俺が壊れていなかったら…きっと俺は、お前を」
 息がかかるほどにまで近づいた距離に、それでも視線を外さぬまま宍戸は言った。
「そんなに顔近づけると、…キスするぞ」
「――それは、離れろ、って命令なのか?」
 跡部の言葉に、宍戸は少し黙って、それから小さく首を振った。
「じゃあ……命令しろ」
 細く白い指先が、宍戸の唇をなぞる。

 宍戸が口を開きかけたその時、突如として轟音が響いた。
「!」
 正面に現れた巨大な影―騎士がMHの運搬用に使う「ドーリー」と呼ばれるその車両は、砂埃を撒き上げながらふたりの前で静かに停止した。

 

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