「おい」
「ああ?」
「着替え、ここに置いとくからな」
「着替え?てめえの服かよ」
「そうだけど」
「そんな小っせえの、俺様に着られるのか?」
「……うるせえな!初めからそういうサイズで作られてんだから、俺の大きさは俺の責任じゃねえよ!」
「フン」
 煙に曇るシャワールームの奥から聞こえる小馬鹿にしたような笑いに腹を立てながら、少年はふと息をついた。

「やっぱり、俺のこと覚えてねえんだな……」

 

 

 

 

「マスター、あいつに着替え渡してきました」
「ああ神尾、丁度よかった」
 こっちも風呂から出たところだ、と男は笑った。テーブルを挟んで向かい側に座った宍戸はタオルで頭を拭きながら、居心地悪そうに黙り込んでいる。
「宍戸、この子が俺のファティマ、神尾だ。神尾、何か飲み物でも用意してやってくれ」
「はい、マスター」
 ぺこりと頭を下げて、神尾は部屋を出ていく。その様子を見ながら、一口にファティマと言っても様々なタイプがいるものだ、と宍戸はぼんやり思った。最初に見たファティマが何しろあの跡部だったし、先日会った『赤也』は跡部までとはいかないものの、それなりに堂々とした態度で人間に接しているようだった――もっともあの時は、冷静にそんなことを観察できるような余裕などなかったけれど。そう考えると、この『神尾』が、元々自分が抱いていたファティマのイメージに一番近いのかもしれないと、先程借りた少し大きめの服の袖を捲り上げながら宍戸は思った。
 MHを運搬する車両であるこの巨大なドーリーの中には、騎士とファティマが生活するための居住空間が整えられている。中に迎え入れられた宍戸と跡部は、まずその汚い格好をどうにかしろ、と風呂に入れられたのだった。
「えっと……あんたは、」
「橘だ。一応騎士団に所属しているんだが、今は星団中を旅している」
 修行の意味も兼ねてな、と橘は笑った。
「何で俺たちのこと……」
「噂を聞いたんだ。『壊れたファティマと強い少年』のな。お前たちだろう?」
「……」
「話をしてみたくてな」
「……話?」
 宍戸は橘の全身をじろりと眺めた。それなりの格好をしていて、それなりの騎士団に所属するそれなりの騎士なのだろう。穏やかな様子だが、そこから感じられる”気”が、彼が只者ではないことを物語っていた。――相当、強いはずだ。
 このドーリーの設備などから考えても、彼の所有するMHが個人所有用の安ものや中古品などではないことは想像できた。だったら、一体。
「話って何だよ」
 不機嫌そうな宍戸の声に苦笑して、橘は頷いた。
「お前、俺の国に来る気はないか?」

 

 

 

****

 

 

 

「断られるとは思わなかったな」
 こちらに向かって手を振り去っていく宍戸と、その後をついて歩いていく跡部を窓から見下ろし、橘は軽く息をついた。
「彼なら俺たちの騎士団でも充分にやっていけると思ったんだが……」
 橘は自らの所属する騎士団の人員補強のため、星団中を回っているところだった。彼らの駆るMH「BANG」は星団3大MHと呼ばれるほどの性能とパワーを誇るMHで、それを所有するということは騎士にとってこの上なく名誉なことであるはずなのに。
「無理ですよ、マスター。……あんな恐ろしいファティマが、傍にいるんだから」
 それまで黙っていた神尾が、宍戸と跡部の後ろ姿を眺めながらぽつりと言った。
「……恐ろしい?どういう意味だ?」
 怪訝そうな表情で橘が神尾を振り返る。
「――マスターが生まれるずっとずっと前のことです」
 神尾は俯いた。

「とあるファティマが発表されました。当時天才と呼ばれたファティマ・マイトとMHマイトが手を組んで、ファティマとMHをペアで誕生させたんです。……そのMHとファティマは完全にシンクロして、どちらも通常のデータより2ランクも上のパワーをはじき出しました。そのMHとファティマが揃って初めて、強大なパワーを持つんです。星団で、ただひとつのプログラム」
「……」
「騎士や王族は、このファティマとMHを得るために力を誇示し、戦いました。ファティマは自分との相性ではなく、MHと相性のよい騎士を認めるために、その力を見る必要があったからです」
「……それは……」
「エスカレートしていく騎士たちの血みどろの争いに、ファティマは精神崩壊寸前まで追い込まれ、MHマイトは心労のため亡くなりました。そしてファティマ・マイトは、そのファティマに強靭な精神と『自ら主を探す』プログラムを与え姿を消したんです」
 そこで一度言葉を切って、神尾は橘を見上げた。
「そのファティマが放浪の末にみつけた最初のマスターを倒したのが、……あなたの前の俺のマスターと、このドーリーに乗っているMHなんです。だから俺は、あいつを知ってる」
「神尾、……そのMHとファティマというのは、あの……」
 神尾は深く頷いた。
「最も特殊で、最も高貴で、いちばん残酷なファティマ。全ての力を騎士にではなくて、その黒いMHに注ぎこむ非情なファティマ。……最高のファティマを指す”フローレス”という言葉はあいつのためにあると、人は言うそうです」
「……。そうか……あれが」
 驚きを隠せずにいる橘に、神尾は小さく言った。
「あいつは……どっちの自分でいる時のほうが幸せなんでしょうね」
 黒いMHを完全にコントロールする、MHのみに全てを捧げる自分と。
 その『本当の自分』を忘れ、人間たちと接する自分。
「……」
 橘は俯く神尾の肩を抱いた。
「それは彼らが考えることだ。俺たちにできるのは、彼らが幸せであるよう祈ることだけだ」
「マスター……」
 神尾は頷くと、砂埃の向こうに消えていったふたつの影を見下ろした。

 

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