君をひとり失ったくらいじゃ、世界はきっと、何も変わらない。
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俺は絶句した。言葉を発することができるようになるまでにたっぷり3分くらいはかかったと思う。その間彼は腕を組んだまま、その青色の瞳でじっと俺を睨むように見ていた。
「……何か俺に、恨みでもあんのか?」
「あるといえばあるかもしれないが、そういうわけじゃねえ」
俺が必死で絞り出した言葉を鼻で笑って、彼、跡部景吾はこちらに近づいてくる。俺は思わず、抱いていたクッションを更に強く抱きしめて後ずさった。
「何だ。怖いのか?」
「怖いっていうより、意味がわからねえ!何なんだよお前!お前は……」
「死んだはずだ、って?」
にやりと笑う。いつもなら腹が立って仕方がない、人を見下すような笑い方だ。でも今の俺にはそのことよりも、彼の伸ばした手が俺の抱いたクッションをすり抜けて俺の肩に近づいたことや、見た目には触れているはずなのにその感触がないことのほうが重要だった。
「ほ、本物……」
「決まってんだろ」
何故か得意げにそう言って、彼はまた笑った。
彼は一週間前に死んだのだ。
俺たちを置いて。
「そりゃお前なら、化けて出るくらいのことしてもおかしくはねーけど……」
「どういう意味だ」
不機嫌そうな跡部に、立ち話も何だからと(俺は少し混乱してたのかもしれない。当然だろ)椅子を勧め、自分もベッドに座る。跡部は普通に歩いて椅子に座った、ように見えた。
「その、座ってる感触とかあんのか?」
「あ?いや。物には触れないらしい」
「へ、へえ……。じゃあ空気イス状態なのか?」
「力は入れてねえ。浮けるしな。見るか?」
「いや、いい!座ってろって」
俺は申し出を断って(多分跡部がふわふわ浮いてるとこなんて見たらますます混乱する)、椅子の背もたれに寄りかかってのびなんかをしている跡部をじっと見た。ちゃんと足は、ある。
見た目的には俺と変わらないけど、さっき物を通り抜けてるところを見たからか、少しだけ色味が淡いっていうか、周囲に透けているような気がする。まあ跡部は元から、肌の色とか目の色とか髪の色とか俺より大分薄いんだけど。
「で、いつからお前、その状態……なんだ?」
「ついさっきだ。気が付いたらここにいた」
「ふ、ふうん。じゃ、お前の葬式とかは、見てねえんだ」
「まあな、見たくもねえし」
俺は少しだけ安心した。怪訝そうな顔をする跡部に愛想笑いを返してみる。自分があのときそれほど取り乱していたとは思わないけど、見られてなくてよかったと思うほどにはいっぱいいっぱいだった。俺も、テニス部の奴らも。
――氷帝の制服って白っぽいから、こういうとき着るのにはあんま向いてねーよな。
そう俺が言うと、忍足が俺の肩を抱いて、あやすようにぽんぽんと叩いてくれた。
ジローは滝にしがみついたままこっちを向こうともしなかったし、岳人はじっと上を向いてくちびるを噛みしめていて、長太郎と樺地と日吉は黙ったまま床を見ていた。俺はただ、何とかしなければと思うばっかりで、やたらと無意味なことを喋っていたような気がする。喋っていなければ、足元が真っ暗になってどこか深い穴に真っ逆さまに落ちていきそうな、そんな感じがしたから。
……で、あんときの俺らの気持ちをどうしてくれるんだよ、神様。どこの誰かもわからない(跡部の葬儀はキリスト教式だった、宗派なんて知らねえけど神父さんがきてた)神様に心の中で文句を言っていると、跡部はその無駄に長い足を組み替えて言った。
「何ひとりで赤くなったり青くなったりしてんだよ」
「う、いや、別に」
「安心しろ、てめえを呪うために来たわけじゃねえからよ」
「あーそうですか……」
呪うために来たわけじゃない。その言葉が妙にひっかかった。じゃあこいつは、何かの目的があってこの世(って言い方も寒いけど)に戻ってきたわけか?
「じゃあ何しに来たんだよ」
「……やり残したことがある」
「やり残したこと?」
「ああ。それができないと、あっちの世界に行けないらしい。……まあ俺も、こっちの世界にまだいたかったから好都合だ」
「……」
何でもないことのように跡部は言ったが、俺は思わず黙り込んでしまった。
やり残したこと。そりゃ山ほどあるだろう。こっちの世界にまだいたい。当然だろう。だってこんなに早くその時が訪れるなんて思っていなかっただろうから。
「馬鹿面」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。聞き慣れた罵倒の言葉に、それでも脳は素早く正気を取り戻し、条件反射のように反撃の言葉が口から飛び出す。
「ああ!?てめえ今何て言った!」
「馬鹿って言ったんだよ。日本語わかんねえのか?」
「てめえ……!」
「バーカ。お前は考えてることが全部顔に垂れ流しなんだよ」
「……」
二の句が継げずにいると、跡部はまたにやりと笑った。
「いいか、俺に同情すんな。可哀想とか思うな。俺はもう死んだ、不本意だがそれは事実で、でもチャンスがあったからもう少しだけこの世界を楽しみに来た。それだけだ」
フン、とふんぞりかえるようにして言う跡部に、なんだか理不尽なものを感じずにはいられなかったが、俺はひとまず頷いてやることにしたのだった。