頭の中で考えていることが遠慮なくそのまま表情や態度に出てしまう(ここで重要なのは、決して「言葉として口から出る」ことはないということ、更に言えば嬉しいなどのポジティブな感情は完全に真逆の態度として出てくることが多い)、それが宍戸が宍戸たる最大の所以であることは、こいつを少しでも知る人間にとっては至極当然、自明の理ともいえることで、本人にしてみれば都合の悪いことも多くあるだろうそれを今回も遺憾なく発揮してきまり悪そうな顔をしてみせたこいつに、俺はため息をついた。
「誰と行くんだ?」
「……長太郎」
 顔を見ればわかる。何かあったな。
 察しはつくが。
「2人で?」
「ああ……」
 お前もくるのか、とでも聞きたげな、複雑な表情で俺を見上げる。
 俺は敢えて何も言わずに、宍戸の言葉の続きを待った。こいつが来るなというなら行くし、来いというなら行かないだけだ。わざわざ俺が気を使ってやることはない。
「場所は、いつもの所か?」
「まあ、な」
 宍戸は落ち着かない様子で時計をまた見上げた。ここからいつものストリートテニス場までは30分程度だろうか。
「……お前、どうする?」
 どうする、ときたか。俺は腕を組みなおした。
「どうしたらいいんだ?」
「……」
 口をつぐんで黙った宍戸に、俺は苛立ちを募らせる。こういった相手の出方を伺うような態度は、こいつ自身最も嫌うものだろうに。
「……暇だからついてってやるよ」
 沈黙に我慢できずに俺がそう言うと、宍戸はまた何ともいえない表情をした。
「……あ、そう」
「時間ないんじゃないのか」
「ああ……」
 ベッド脇に置いてあったテニスバッグを肩にかける。テニスをする前はいつもバカみたいに上機嫌なこいつがこんな表情をしているのに多少むかつきながら、宍戸が部屋のドアを開けるのを待たずに隣の壁をすり抜けて廊下に出た。後から出てきた宍戸があからさまに驚いたのを鼻で笑ってやると、少し嫌そうな顔をして無言で階段を降り始めた。

 



 抜けるような青空が広がっていた。昨夜は結局宍戸家から一歩も外に出なかったので、俺にとっては実質一週間ぶりの外の世界になる。明るい、と思った。暖かさや寒さを感じることはできないが、宍戸がパーカの襟元を締めるのを見て、俺が最期に感じた気温よりも幾分低くなっているのだろうと思った。大きく息を吸い込んでみたが、それを体内に取り込むはずの肺はもう俺にはない。奇妙な感じだった。
 気のせいかいつもより歩くのが遅い宍戸の、隣を歩く。
「お、猫」
 宍戸の声に下を向くと、街路樹の植え込みの影から一匹の痩せた野良猫が顔を出していた。宍戸は足を止めて少し屈み、猫に向かって手を差し伸べた。
「あ」
 猫は差し出された手をしばらく見ていたが、食べ物をくれるわけではないことに気づいたのかふいと顔を逸らすと、俺の足元を通り抜けてどこかへ駆けていった。
「……逃げられたか」
「野良猫なんだからしょうがねえだろ」
「ていうか、お前にも気づかねえんだな」
「あ?」
「ああいう動物とかって、わかるっていうじゃん。そういうの」
「……。まあな」
 俺んちに前いた猫も、誰もいないところをじっと睨んだりとかしてたし。言って宍戸は身を起こした。
「なんで?」
「俺が知るかよ」
「あっそ」
 興味を失ったように、宍戸はまた歩き始める。俺は今度はその少し後ろを歩いた。誰かの後ろを歩くなんて以前だったら絶対に我慢できないことだったけれど、何故だかそうしなければならないような気がした。
 しばらくすると、前方から女子高生らしき集団が歩いてきた。横に広がってぎゃあぎゃあと煩く騒ぎながら歩いてくる集団に宍戸は眉を顰め、睨むようにしながら避ける。俺はそのまま真っ直ぐに歩いた。あまり気持ちのいいものではないが、わざわざ避けてやるのは癪に障る。
「うるせえんだよバーカ」
 顔のすぐ前に迫った女どもに言ってやる。
 俺の姿にも声にも全く気づくことなく、女子高生たちは俺をすり抜け、そのまま歩き過ぎて行った。
「……なあ」
「何だよ」
「ホントに、俺にしか見えねえんだな」
 立ち止まってその様子を見ていた宍戸が、心底驚いたように言った。
「昨日言っただろ」

「なんで俺だけ?」

 息が、止まるかと思った(実際止まっているのだが)。
 誤魔化す言葉を咄嗟に思いつくことができなかった。
「……選べって言われたんだよ」
「選ぶ?」
 俺の顔を覗き込むようにする宍戸から、顔を背ける。
「誰に姿を見せるか、ひとり選べって」
「え、誰に?」
「知るか。カミサマとかそういうんじゃねえの?」
「知るかって、お前見たんだろ?」
「明るい光みたいなので、よく見えなかったんだよ」
「へー!すげーな!」
 何に感心したのかわからないが、宍戸はそれで納得したらしく、また前を向いて歩き始めた。
「……」
 以前なら心からバカにしていたはずのこいつのボケっぷりに、初めて感謝したい気分だった。こいつがバカであってよかったと安堵して、それからいつの間にか自分の手を強く握り締めていたことに気づいた。
「やべ。遅れるかも」
 宍戸は腕時計で時間を確かめている。それでも急ぐ気はないようだ。
 俺は大きく息をついた。

 きっと何の気もなしに言ったのだろうこいつのひとことに、自分がどれだけ動揺させられるのか。知っていたこととはいえ、改めて思い知らされたようで気分が悪い。
 例えば昨夜のひとことだって。
――俺が朝起きたら、お前消えてたりとかしねえ?
(バカなのは、俺のほうか)
 無性に可笑しくなって笑うと、少し前を歩いていた宍戸が振り返って、遅えぞ、と言った。

 

 

 

 ストリートテニス場は、長い階段を上ったその上の、見晴らしのよい高台の上にある。一面だけのコートにナイター用の照明、それから奥にコンクリートの階段状のベンチ。関東大会の前の練習後、少し打ちにでも行こうかと氷帝レギュラーメンバー達と共に来たこともある(そこで青学の桃城と、越前に会ったのだが)。
 そういえばあの時は、目の前を歩いているこいつはいなかった。
「宍戸」
 階段を上りながら声を掛けると、うるさそうに宍戸が振り返る。
「お前、俺がこうやってここにいること誰にも言うなよ」
「なんで」
「病院に連れて行かれたいのか?」
「……そっか」
 誰にも姿が見えない以上、いくらここに俺がいると主張してみたところで誰も信じてはくれないだろう。下手をすると、あれで何かと世話焼きな友人どもに余計な心配をかけることになるかもしれない。それはそれで面白いかもしれないが。
(いや……)
 もしかしたら何より俺自身が、こんな姿になってまでもこの世界に固執していることを知られたくないのかもしれない。
 宍戸は俺の言葉に納得したのか、軽く頷いて腕時計を確かめた。
 12時を少し回ったところだった。

「あ」
 部活が終わる夕方から夜にかけては割と人で賑わっていることの多いそのコートにいたのは、見慣れた長身の後輩ひとりだった。ベンチに座ってぼんやりと空を見上げていた彼は、宍戸に気づいて振り返ると、いつもの人のよさそうな笑顔をみせた。
「宍戸さん」
「おう、長太郎。遅れて悪い」
「いえ!」
 鳳は飼い主を見つけた犬のように駆け寄ってくる。尻尾を振っているのが見えそうだと言っていたのは、外見に見合わない毒舌を誇るおかっぱ頭のあいつだったか。当然、宍戸のすぐ隣に立っている俺に気づくことはない。
「……来て、くれないかと思ってました」
 えへへ、と屈託なく笑う。やはり複雑な表情をしている宍戸の前で、その笑顔はみるみる曇っていき、最後には今にも泣き出しそうなものになった。
「すみませんでした、あの、昨日……ヘンなこと言っちゃって」
「……」
 宍戸がちらりと横目で俺を見る。俺は黙ってふたりから離れ、コンクリートのベンチに座った。
(言ったのか)
 宍戸の態度がおかしかった原因。ある程度分かってはいたことだったが、改めて聞くとやはり驚きを隠せない。驚きというより、その無鉄砲さへの、呆れを伴った妙な尊敬というのか。
 鳳が宍戸のことを好きだというのは、氷帝テニス部に所属する者ならかなりの確率で知っていることだった。その好意が恋愛感情であるとまで知っているのは一部限られた人間だけかもしれないが、それでも鳳のあからさまな態度は、見ていていっそ清々しいほどだった。
 当然、本人だけが知らなかったようだが。

 宍戸は誤魔化すように、早くやろうぜ、と言って肩にかけたバッグをベンチに下ろす。中からラケットを取り出す宍戸のすぐ後ろに立って、鳳は俯いた。
「すみませんでした。……本当は、こんな時に言おうとは思ってなかったんです」
「……こんな時?」
 宍戸の言葉には答えずに、鳳は俯いたまま続けた。
「返事が欲しいとか、そんなんじゃないんです」
「……」
「ただ……知っていて、ほしくて」

 知っていてほしい?
(本当にそれだけでいいのかよ)
 それきり黙り込んでしまったふたりに、俺は大きくため息をついて立ち上がった。宍戸が目線だけで俺を追う。ふたりの間を通り抜けるようにしながら宍戸に視線を送った。
「……先に戻ってる」
 歩き出そうとしたときだった。
「……宍戸さん、今、何か言いました?」
「は?」
 鳳は不思議そうな顔でキョロキョロと周囲を見回した。
「俺は何も……」
「でも、今、声が」
 宍戸と顔を見合わせる。俺の姿は見えていないはずだ。
「……聞こえるのか?」
 俺は少し、声を大きめにして言ってみた。
「え、聞こえ……ますけど……これって」
 目を凝らすようにしながら、鳳は言った。
「……跡部先輩、ですか?」

 これだからカミサマとか言うヤローは信じられねえんだよ。
 俺はまた深いため息をついた。

 

 

 

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