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「タローちゃんが許可くれたんだよ、今日は自由に校内見て回ってヨシ!って」
おかっぱ頭のやつは、左手をチョキみたいにして、それをちょっと傾けて妙なポーズを決めた。何だよそれ。
「なんだかんだでお気に入りだったもんなあ」
「そらそうやろ」
強かったしなあ、と眼鏡のやつが頷く。
「お気にていうたら、宍戸とか日吉もやろ。なんかあのおっさんの好みてわかりやすいよなあ」
にやって眼鏡のやつが笑うと、シシドとキノコ頭のやつが目を見合わせて微妙な顔をした。
「タローって誰」
おれのすぐ後ろを歩いていたシシドの服の裾をちょっと引っ張って尋ねると、聞いてもいないのにおかっぱのやつが左手をチョキにしたまま言った。
「俺らの、中学と高校の恩師ってやつ。音楽教師にしてテニス部顧問!ちなみにここが、音楽室な」
ぞろぞろと並んで歩いていた集団が立ち止まる。ガラスの窓は下半分がすりガラスみたいになっていて、おれの身長じゃ中がよく見えなかった。背伸びをしていると、フランケンみたいなやつが何も言わずにおれに近づいてきて、おれはまるで犬みたいに簡単に抱え上げられてしまった。
「ちょ、あんた!」
「ウス」
降ろせよ、って言おうとしたんだけど、間近で見たそいつの目がとても優しかったんで、なんとなく言葉を飲み込んでしまった。
「お、重くないのかよ」
「……ウス」
それを見て、周りのやつらがくすくす笑う。でもそれはおれをバカにしてるみたいな笑い方じゃなくて、おれはくすぐったいような気持ちになっておとなしく抱えられていた。
「おおとりも個人レッスンとか受けてたんだろ?カントクに」
「あ、はい。俺はヴァイオリンを」
「あとべはピアノやってたんだよねー」
俺、あとべのピアノ好きだったなー、って言って、金髪のやつが笑った。
あとべ。
「あとべって誰?」
また聞いてみた。
「……」
今度は誰も答えてくれなかった。
「?」
「ほ、ほな次いこか!」
眼鏡のやつが慌てたみたいに言った。
***
「ここ、俺が中三のとき使ってた教室な」
一番成績がいいクラスやってんで、と眼鏡のやつが言った。おかっぱのやつが、そんな情報どうでもいいだろ、って言って眼鏡のやつを睨む。
「頭はよさそうに見えるぜ」
少なくともシシドよりは。思った通りを言ってみると、シシドはムッとしたような顔をして、おかっぱは可笑しそうに笑い出した。
「ほんま?まあでも、一番は取れへんかってんけどな」
「ふーん」
「トップはいつも同じやつでなあ。俺は密かにライバルやと思ってて、何か一個くらい勝ったろ思てたんやけど、結局最後までひとつも勝てへんかったわ」
才能の違いっちゅーやつやったんかなあ、とか愚痴るみたいに言う眼鏡に、おれはちょっとイラついて言った。
「みっともねえな」
「……」
「なんでもないふりして、結構根に持つタイプっぽいよな、あんた」
「大人に向かって何てこと言うねん」
「大人だろうが子供だろうが関係ねーだろ。おれはあんたみたいにはなりたくないし。誰にも負けたくないし、それを何のせいにもしたくない」
フンって笑って言ってやると、それを聞いてたおかっぱがおれの頭をちょっと撫でてからにやって笑った。
「侑士の負けー」
「だー、がっくんまで!」
「お前はどこまでも負けつづける運命なの!」
ひどいなあ、って笑いながら、眼鏡のやつもおれの頭を少し撫でた。
「……変わってへんなあ、やっぱり」
おれはただ、黙っていた。
***
「で、ここが俺のお気に入りの昼寝スポット〜!」
金髪のやつは、中庭の芝生に犬みたいに走りこんで行って勢いよく寝転がった。
「おいで!」
寝転がったままおれを手招きする。シシドを振り返るとちょっと頷いたんで、その隣に座ってみた。ほかのやつらもその周りに座り込む。
「膝、ちょっと伸ばしてみて」
「?」
おれが言われた通りにすると、金髪のやつはおれの膝の上に嬉しそうに頭を乗せた。
「おいおい、骨折れんじゃねえのか?」
「お前ちょっと手加減してやれよ…子供なんだから」
周りのあきれた声にはっとなって、金髪のやつはおれの膝の上からおれを見上げて心配そうな顔をした。
「ごめん、重い?」
「別に」
ホントは少し痛かったけど我慢して言った。
「へへ、ごめん、ちょっとだけな!」
「……」
おれはなんとなく、今日ここに連れてこられた理由がわかってきたような気がした。複雑な気分で、気持ちよさそうに目を閉じているそいつのふわふわ揺れる金髪を見ていた。
顔を上げる。シシドと、目が合った。じっとおれを見てくる。
(何だ?)
黒い瞳。その目を知っているような気がした。目っていうか、こんなふうに、少し離れた場所からじっと見られていたことがあったような。
なんとなく目を逸らす。下を見ると、金髪のやつはいつの間にか目を開けていた。
「目、青いんだね」
「おじいちゃんが外人なんだよ」
「そっか。綺麗な目」
言って、そいつは両腕を伸ばしてきて、手でおれの頬をはさんだ。
「……」
「かわEーなあ」
かわいい?
学校でクラスの女子たちにはかっこいいとかたくさん言われてるけど、かわいいなんて言われたのは初めてだ。どうしたらいいのかわからなくて黙っていると、そいつはおれの目を見たまま、ゆっくり身体を起こした。
え、って思ったときには、おれはすっかりそいつに抱きしめられてしまっていた。優しく優しく。もっと小さかった頃、母さんがおれにしたみたいに。
「会いたかったよ……」
「……」
何故か振りほどくことができなくて、腕の間から外を見てみる。ほかのやつらはみんな、なんだか泣きそうな顔をしていた。
しばらくして金髪のやつは腕を解くと、またおれの頬を両手ではさんだ。
「?」
おれがじっと見ていると、そいつはおれにゆっくりと顔を近づけてきた。
「おい、ジロー!」
シシドの声が聞こえた。
その声を聞いて、『ジロー』はいたずらを思いついたときみたいにニッて笑った。
「これで我慢しといてあげる。きみのこっからの時間は、りょーちゃんのものなんだもんね」
な、と後ろのシシドを振り返る。
「そーだよ」
シシドが笑うと、『ジロー』は立ち上がり、おれに手を伸ばしてひっぱり上げて立たせてくれた。ほかのやつらも立ち上がる。
「今から何すんの?」
「差し当たってはテニスかな」
「あ、それじゃあ」
あの銀色の髪の背の高いやつが、キノコ頭のやつをつついてほら、日吉、と言った。
キノコ頭のやつは、俺は信じないぞとかなんとかぶつぶつ言っている。
「?」
おれが見上げると、銀髪のやつはおれの顔を見てまた優しく笑い、おれの肩に手を置いてキノコ頭のやつのほうに向けた。そのまま、なんとなくそいつをじっと見つめる。
やがて、ずっと黙ってたキノコ頭のやつが、あきらめたみたいにため息をひとつついて、おれに何かを差し出した。
「……これ、持っていってください。お返しします」
少し古くなった一本のラケット。
跡部、と名前が書いてあった。