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「跡部って誰?」
ストリートテニス場のベンチに座り、受け取ったラケットを眺めながらもう一回聞いてみた。
シシドの友達たちはみんな帰ってしまった。もう夕方も近い。おれとシシドはテニスをするために、ナイター設備のあるコートに来ていたのだった。
「そいつが、おれに似てるとかなんだろ?」
おれが言うと、シシドはまあな、って頷いた。
「今日が特別って」
「そいつの誕生日だったんだよ、今日」
だからみんなで集まったんだ。言って、目を閉じる。何か、大切なことを思い出すみたいに。
「そいつは、あんたの友達?」
「んー、友達っていえば友達だけど。まあでも結局は友達……だったのかな」
「何だよそれ」
シシドは笑うだけだ。
「どんな奴だったの?」
「最高に性格が悪い奴。たぶんさっきの奴らに聞いたら、みんなそう言うと思うぜ」
今のお前みたいにな。言って笑うシシドにムッとしていると、シシドは俺の隣に座った。テニスバッグを開いて、ラケットやボールを取り出す。
「……テニスがめちゃくちゃ上手くて」
おれが隣を見ると、シシドは手を止めて、じっと手にしたボールを見ていた。
「上手くて?」
「俺が、死ぬほど憧れた奴」
「……」
「それから、たぶん…たぶんもうこれから先、そいつ以上に誰かを好きになることなんかないだろーなって思うくらい、好きだった奴」
シシドの手からボールが転がり落ちた。
おれはベンチから立ち上がって、転がっていったそれを拾い上げた。
「ほら」
びっくりしたみたいに、シシドは顔を上げた。その手のひらにボールを乗せる。触れ合った指先がちょっとだけ冷たかった。
あれ、何だろう。また、へんな感じ。
「シシド」
おれは少し首を傾げて尋ねた。
「もしかして、おれ前にあんたに会ったことある?」
「……、」
シシドはそのまま、おれの手首をつかんだ。
「え、ちょっ…」
言いかけた言葉は、最後まで言えなかった。シシドの顔が近づいて、思ったよりまつげが長いんだな、と思ったときには、くちびるが重なっていた。
はずみで目をぎゅっと閉じる。シシドはそれでもくちびるを離そうとせずに、おれの肩に両手を置いた。その手には力が込められていて、そして、何故かちょっとだけ、震えていた。
引き離そうと思ったのに、力が入らない。
何だ、これ。
何か熱いものが、ふれあったくちびるから流れ込んできて胸のあたりにぎゅうっと集まってくるような感じがして、おれはもっと強く目を閉じた。なんだか泣きそうな気分だった。
そっと目を開けてみると、シシドも目を開けた。近すぎてよく見えないけど、俺のヘンな青い目と違って、真っ黒で綺麗な目。
おれがじっと見ていると、シシドはおれのくちびるを、自分のくちびるではむってはさむみたいにして、それからちゅって音をたててやっと離した。
「……何しやがるんだよ」
やっぱりきゅって痛いままの胸を少し押さえておれが言うと、シシドはにやって笑った。
「お前、これがファーストキスだろ?」
「だったらどうなんだよ!」
からかわれたのか。むかついておれが言うと、シシドは泣きそうな顔で笑って、それから腕を伸ばして俺を強く抱きしめた。
「…シシド?」
おれが呼んでもシシドは何も言わずに、おれの胸のあたりに顔を伏せているだけだった。
シシドはベンチに座ったままなので、おれのほうがシシドを見下ろす感じだ。さっき『ジロー』ってやつがしたのとは全然違う、強い力でおれを抱きしめる。
何となく、おれも腕をシシドの背中にまわしてみた。
(……何だ?)
今日何回も感じた不思議な感じがまたして、おれは目を閉じた。
なんだろうこれは。
そうだ、何か、ずっとずっと欲しかったものがやっと手に入ったみたいな。長い間望んでいた願いが、やっと叶ったみたいな。
「シシド」
おれが呼ぶと、シシドは小さく「なんだよ」と言った。
「…泣いてんのか?」
胸のとこが濡れてきたような感じがして言ったら、シシドはちょっと黙ってから、そう、って頷いた。
「何で泣いてんだよ」
「お前が気づけ、アホ」
「おれのせいなのかよ」
「当たり前だろ」
「何で」
「…会いたかった、って言えよ」
「……」
「会いたかったから、こんなに急いで帰ってきたんだって言えよ」
おれは何も言えなかった。
何も言えないまま、ただ、シシドの手元から転がって地面に落ちたボールから伸びた長い影を、じっと見ているだけだった。